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代表挨拶

ご挨拶

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この度は(有)フロサービス鹿野のホームページを見て頂き誠に有難うございます。
弊社はお客様第一主義で真心のこもったサービスを提供いたします。

プロフィール

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恥ずかしがりやで目立ちたがりやの両極端な性格。
約束事は必ず守る有言実行タイプ。
ですから出来ない事は最初にお伝えする事もあります。

略歴

出来事年齢
昭和37年仙台市内の風呂桶職人のとても厳しい父親で貧乏な家に生まれ育ちました。
昭和46年小学4年から新聞配達を始めました。人前で歌う事に魅力を感じギターを弾きながら野口五郎などの曲をソロで歌うスタイルが定番でした。9歳
昭和52年東北高校に入学しオフィスのごみ集めのアルバイトを家計・自分の為に働いた事が自立する自信にもなりました。15歳
昭和53年東北高校の音楽教師より東京の音楽事務所とのつながりでトモエモアの第二弾企画があり女性は決まっていて男性の歌い手を探していてすぐに東京へ来て欲しいと誘いがありましたが別のプロダクションが決まっていて苦渋の選択ではありましたが断ってしまったという経緯がありました。16歳
昭和54年アルバイトをしながらお金を貯め仙台ー東京間をまだ新幹線のない時に日帰りで往復十時間かけて歌お芝居のレッスンを受けておりました。17歳
昭和55年高校を卒業後、上京して十九歳の時に所属プロダクションから「ああ野麦峠」という事務所の先輩である三原順子さんが主演した映画出演の誘いの話があり、蚕の工場で働く役で坊主にする事が条件で台詞はありませんでしたが私としては初出演で今でも体の震えを抑えられなかった事を思い出します。18歳
昭和56年フジテレビのライオン奥様劇場で前田吟さんと市毛良枝さん主演「おれは亭主だ」に前田吟さんに診察される設定で一般的によくある台詞を初めて頂きました。いざ現場までの地図を渡され東宝撮影所内の東宝ビルトという芝居小屋までいくのに三十分遅刻。ですが何一つ怒られずに逆に三十分待つ事になりカットとチェックの繰り返しで無事オンエアー。歌の世界では使命感はなかったが一部の人にしか経験の出来ない勉強をさせて頂いてご指導頂き多くの方に感謝いたします。19歳
昭和57年経営の初歩を勉強できる上場企業に4年間勤めた後、転勤で二十三歳に仙台に戻り二十五歳から現在の仕事に人生をかける事になりました。20歳

会社の本題からはずれてしまいましたが歌と同様にお客様にも仕事で心を伝えられる様に心がけたいと思っております。こんな私ですが、お客様のあらゆるご希望に応えられる様に勤めてまいりますので御連絡・御来社頂ければ幸いです。最後までお付き合い頂き誠に有難うございました。